玉陵(たまうどぅん)を360度写真レポート。世界遺産をバーチャル観光!

玉陵(たまうどぅん)の概要

玉陵-内郭-360度写真 https://tokyo360photo.com/okinawa-royal-tomb – Spherical Image – RICOH THETA

以前紹介した守礼門からもほど近い場所にある、琉球王国の第二尚氏王統歴代の王が眠る陵墓が、今回紹介する「玉陵(たまうどぅん)」です。
※陵墓とは、天皇や皇族のお墓です

この玉陵は、琉球王朝第3代尚真王(しょうしんおう)が、父である尚円王(しょうえんおう)の遺骨を改葬するために建造した陵墓です。その後、2代と7代の王2名を除く歴代の王が葬られました。

破風墓

玉陵は、沖縄特有のお墓「破風墓(はふばか)」と呼ばれるタイプのお墓です。破風墓とは、外見がまるで家のような形をしていて、三角形の屋根があるお墓です。現在の沖縄では、1番ポピュラーなお墓が破風墓となっていますが、その破風墓の中でも1番最初に作られたのが玉陵だといわれています。

先祖崇拝の思考が強い沖縄は、基本お墓のサイズは大きく、破風墓の他に「亀甲墓(かめこうばか)」と呼ばれる亀の甲羅の形に似たお墓も有名ですが、こちらも例に漏れずとても大きな作りとなっています。また、沖縄の糸満市には、「幸地腹門中墓(コウチバラムンチュウバカ)」という破風墓があり、このお墓は日本最大のお墓として有名です。

玉陵の構造

玉陵には、「中室」「東室」「西室」の3つの墓室があり、それぞれ下のような役割がありました。

  • 中室:葬儀後から洗骨までの間の遺体を安置
  • 東室:洗骨後の王と王妃の遺骨を納められた
  • 西室:その他の家族の遺骨を納められた

※当時は、遺体が自然に白骨化するまで安置し、その後で骨を取り出し洗骨していました。

玉陵の歴史

玉陵-外郭の門-360度写真 https://tokyo360photo.com/okinawa-royal-tomb – Spherical Image – RICOH THETA

1501年に建造

上述の通り、玉陵は琉球王朝第3代尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するために建造しました。歴史書「琉球国由来記」には、玉陵碑が建立された「1501年」が玉陵の創建年と記されています。ちなみに、尚円王は1476年に亡くなり、玉陵が建造される1501年までの間は「見上げ森 (ミアギムーイ)」という丘に葬られていました。(ミアギムーイも、玉陵の近くにあったようです)

太平洋戦争で破壊と復元

この玉陵がある首里城近辺には、太平洋戦争時には軍の司令部があったため、首里城一帯は米軍の集中砲撃にあいました。玉陵もその空爆によって東室と西室が破壊されるなど大きな被害を受けてしまいます。

現在の玉陵の大部分は、戦後に修復されたものですが、崩れた石組みを掘り起こして既存の石を再利用するなど、できる限り忠実に復元されています。修復工事は、1974年から3年ほどの時間をかけて行われました。

玉陵の石組みをよく見ると、ところどころ白い石が混ざっていますが、その部分は損傷によって既存の石が使えず、新しい石が組み込まれた場所です。また、古い既存の石にも、ポツポツと白い部分がありますが、そこは銃弾が撃ち込まれた穴を修復した跡だそうです。

世界遺産に登録

玉陵は、全体が国の史跡となっており、「玉陵」5棟(墓室3棟・石牆2棟)が国の重要文化財に指定されている他、玉陵の左右両袖上に守護神として設置された「石彫獅子」と、玉陵の外庭にある「石碑(玉陵碑)」は県の有形文化財に指定されています。

また、2000年12月には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました。(※グスクとは沖縄の方言で「城」の意味)

この「琉球王国のグスク及び関連遺産群」とは、遺産群と言う名の通り一つではなく、沖縄県の各地に点在しています。玉陵以外は以下となります。

一番有名なのはやはり首里城だと思いますが、ユネスコ世界遺産に登録されたのは首里城跡となっており、復元された部分は含まれません。

玉陵の360度写真レポート

玉陵の場所と入口

玉陵-360度写真03

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玉陵の入口は、首里城公園の「守礼門」の道をそのまま真っ直ぐ市街地(国際通り)方面に少し進んだ場所、首里高校の裏門の向かい付近にあります。

ちなみに、守礼門には、建造当時は対になるもう一つの門が存在していて、守礼門を「上の綾門(ウィーヌアイジョウ)」、もう一方は「下の綾門(シムヌアイジョウ)」と呼ばれていたそうです(綾門とは「美しい門」という意味を持ちます)。この2つの門を結ぶのが、上の360度写真に写っている道(玉陵の入口がある道)で、当時は「綾門(あいじょう)大道(うふみち)」と呼ばれていました。首里城へのメインルートとなっていて、言わば国道一号線として整備された道です。

首里城から玉陵へは、この綾門大道を歩いて5〜10分程度の距離となっていますので、首里城の駐車場に車を停め、首里城観光とペアで楽しむことができます。(首里城の駐車場以外にも、近隣に民間の駐車場がいくつかあります)

玉陵の受付(料金)

玉陵-360度写真04

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綾門大道から玉陵入口の小道を進むと、受付のある建物があり、ここで観覧料を支払います。

玉陵の料金

入場料 大人 子供(中学生以下) 小学生未満
個人 300円 150円 無料
団体(20名以上) 240円 120円 無料

 

資料館

玉陵-360度写真05

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受付の建物の地下は、玉陵の資料館となっています。資料館には玉陵の歴史を学べる年表や写真、納骨の壺や玉陵の構造を知ることができるミニチュア模型などが展示されています。

 

玉陵-360度写真06

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ここで玉陵について学ぶことで、実際に玉陵を観覧する際に受ける印象も変わってくると思いますので、ぜひ立ち寄りましょう。

木漏れ日の道

玉陵-360度写真07

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資料館を出て右に続く参道を進みます。両サイドにはガジュマルなど沖縄らしい木々が風に揺れていて、静寂をより一層引き立てていました。

外郭の石垣と門

玉陵-360度写真08

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木漏れ日の参道を少し進むと、右手に石垣作りの壁と門が見えてきます。

玉陵は全体が石垣の壁に囲まれており、壁の中もさらに一枚の壁で仕切られ、外郭と内郭に分かれています。

上の360度写真に写っているのが、外郭の壁と門です。

遥拝所

玉陵-360度写真09

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外郭の門の正面には、遥拝所が設けられています。

外郭の広場

玉陵-360度写真10

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初めの門(外郭の門)をくぐると、砂地の広場となっています。ここが外郭(外庭)で、思った以上に広い作りとなっています。ちなみに、玉陵自体の墓域は2,442㎡で、バスケットコートが5〜6個は入る広さとなっています。

敷き詰められている白い砂は「珊瑚砂」となっていて、洗浄の意味があるそうです。

玉陵碑

玉陵-360度写真11

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外郭(外庭)には、陵墓に向かって左側に小さな石碑が立てられています。

この石碑には玉陵の由来や、この玉陵に葬られるべき人々(資格)について書かれています。石碑は尚真王の時代(1501年)に建てられたもので、具体的には

  • 尚真王
  • 尚円王妃(尚真王母)
  • 尚真王妹
  • 尚真王長女
  • 尚真王3男~7男

の9名が有資格者として書かれていますが、「長男」「次男」の名前は書かれておらず、当時の王室内での権力闘争が垣間見れます。お墓に入る有資格者を定めるというより、あえて長男「尚維衡(浦添王子朝満)」の名を書かないことで排除する目的があったと考えられています。

石碑の最後には、

この御すゑは千年万年にいたるまて、このところに、おさまるへし、もしのちに、あらそふ人あらハ、このすミ見るへし、このかきつけそむく人あらハ、てんにあをき、ちにふしてたたるへし  大明弘治十四年九月大吉日

(訳:この書きつけに背く者があったら、天に仰ぎ、地に伏して祟るべし)

と、強い口調で書かれていますが、実際は尚真王が亡くなり尚清王が即位したのち、長男の尚維衡もこの玉陵に移葬されていて、この石碑の掟は守られなかったようです。

中門

玉陵-360度写真12

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内郭(内庭)と外郭(外庭)を隔てる石垣の中心にある門です。ここをくぐれば、いよいよ王家の墓です。

玉陵と内郭(内庭)

玉陵-360度写真13

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内庭にも白い珊瑚砂が敷き詰められています。陵墓の手前2〜3メートルのところにロープが張られていて、観光客はそこまでしか入ることができません。

 

玉陵-360度写真14

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陵墓に向かって

  • 右側が「西室」
  • 真ん中が「中室」
  • 左側が「東室」

です。

西室、東室のそれぞれの屋根に、県の有形文化財にも指定されている「石彫獅子」が設置されています。遠くからしか眺められないので小さく感じますが、それぞれ高さは

  • 西室の石彫獅子:118.3センチ
  • 東室の石彫獅子:120センチ

と、それなりに大きい獅子です。

東の御番所(あがりぬうばんじゅ)

玉陵-360度写真15

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玉陵の外郭を出て右側には、東の御番所(あがりぬうばんじゅ)という、法事の際に国王の控え室として利用されていた建物が展示されています。赤瓦屋根の沖縄風の建物で、復元されてから間がないためとても綺麗な建物です。(一見、観光客向けの休憩所にも見えてしまいます)

案内板には以下の説明が書かれています。

東の御番所は、法事の折には国王の控所として使用されました。ところが、太平洋戦争直前には、2間(約360cm)四方ほどの大きさしかなく、国王の葬儀に使用する龕(がん)(遺骸などを運ぶ御輿のようなもの)や、その他の道具類を保管する倉庫として使用されていたようです。
2000(平成12)年に発掘調査を行ったところ、東西約18m、南北約12mにわたり、柱を支えた礎石や建物の周囲に巡らされた石敷、便所跡などの遺構が発見されました。さらに、瓦や釘、中国製の青磁や染付、壺屋焼の陶器などの破片も出土しました。
驚いたことに、西の御番所の部屋割を描いた図を反転させると、ほぼ柱の位置が一致することがわかりました。そこで、遺構や写真などを元に分析し、東の御番所を復元しました。復元にあたっては、砂などで遺構を保護し、もとの面より約45cm上げて整備を行っています。

ちなみに、西の御番所(いりぬうばんじゅ)は、発掘調査で遺構が確認できなかったため、復元されていませんでした。

玉陵のまとめ

玉陵-360度写真16

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今回筆者が訪れたのは8月で沖縄観光のシーズン真っ只中ですが、平日ということもあってか、ほとんど観光客もおらず貸切状態でした。沖縄観光の代名詞ともなる首里城の影に隠れ知名度はまだまだ低いですが、琉球王国の歴史を垣間見ることができる貴重なスポットです。

首里城からも歩いて行ける距離なので、ぜひ首里城とセットで観光することをオススメします!

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