守礼門を360度写真でバーチャル体験!もうがっかりなんて言わせない

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守礼門はペアになるもう一つの門があった

守礼門360度写真01 https://tokyo360photo.com/syurei-of-gate – Spherical Image – RICOH THETA

今回紹介するのは、首里城の入り口付近にある「守礼門」です。

守礼門というと、首里城の入口(正門)というイメージも持っている人も多いですが、実際はもう一つの門と対になっている坊門の1つです。対になっていたもう一方の門は1908年(明治41年)に老朽化のため取り壊されてしまい今はもう存在していませんが、当時は守礼門は「上の綾門(ウィーヌアイジョウ)」、もう一方は「下の綾門(シムヌアイジョウ)」と呼ばれていたそうです。(綾門とは「美しい門」という意味を持ちます)

ちなみに現在では「守礼門」または「守礼の門」と呼ばれていますが、その由来は門の2階部分に掲げられている扁額(へんがく)にあります。(もともとこの守礼門はこの扁額を掲げるために建てられる門(牌坊)として建造されたと言われています。)

守礼門に掲げられる扁額は、門が建造された当時は基本「首里」という文字が刻まれた扁額が掲げられ、中国から冊封使が訪れている間だけ「守禮之邦(しゅれいのくに)」という文字が刻まれた扁額を掲げていました。それが、9代尚質王(1648年~1688年)の時代から、常に守禮之邦という文字の扁額が掲げられるようになり、今に至ります。

この「守禮之邦」には、「礼節を重んずる国」という意味があります。

歓会門(かんかいもん)が正門

歓会門バーチャル写真 https://tokyo360photo.com/syurei-of-gate – Spherical Image – RICOH THETA

上の360度写真が、首里城の城郭内に入る第一の正門「歓会門(かんかいもん)」です。

守礼門をくぐってまっすぐ進むと、石造りの門に櫓を乗せたこの「歓会門(かんかいもん)」が見えてきます。両サイドには沖縄の守り神と言われるシーサーが鎮座しています。

歓会門の「歓会」とは、歓迎という意味があり、中国からの使者である冊封使を歓迎するという思いで名付けられました。また、この門は別名「あまえ御門(あまえうじょう)」とも呼ばれており、沖縄の古い言葉で「喜ばしい門」という意味もあります。

綾門大道

綾門大道360度写真 https://tokyo360photo.com/syurei-of-gate – Spherical Image – RICOH THETA

守礼門(上の綾門)と下の綾門とを繋ぐ道は綾門大道と呼ばれていました。現在の首里高校裏門と玉陵(タマウドゥン)との間を走っている道で、今では舗装された普通の道となっており、当時の面影はすっかりなくなっているのだろうなーと思います。

ちなみに、下の綾門が建っていた場所は、今は「首里 琉染」という紅型(沖縄の伝統的な染め物)のお店が建っています。守礼門とあわせて立ち寄りたい観光スポットです。

守礼門の歴史

守礼門バーチャル写真 https://tokyo360photo.com/syurei-of-gate – Spherical Image – RICOH THETA

守礼門が建造された時期は正確に分かっておらず、琉球王国が独立国家となっていた時代の、
琉球王国第二尚氏王朝4代目の「尚清王」の時に建造された。ということだけが判明しています。この尚清王が在位していた時期が1527年~1555年となっていますので、その間に建造されたということです。

ちなみに首里城が建てられたのはさらに古く、琉球が3つの勢力に分かれていた時代、13世紀~14世紀に建造されたと言われています。

戦争で焼失~再建

琉球王朝時代に建造された守礼門は、1872年の琉球王国廃止(日本による琉球藩の設置)以降も存続していましたが、第二次世界大戦(太平洋戦争)の沖縄戦の激しい戦火によって焼失してしまいます。この戦火では守礼門だけでなく、首里城など、他の歴史的な建造物も破壊されてしまいました。

その後、終戦を迎えた沖縄で復興が進む中、県民の強い意向の元、首里城や守礼門の復元が行われます。守礼門は1958年(昭和33年)に復元が完成、この守礼門復元が皮切りとなり首里城などの再建も進んでいくことになります。

もう「がっかり」とは言わせない!

守礼門バーチャル写真04 https://tokyo360photo.com/syurei-of-gate – Spherical Image – RICOH THETA

上で書いた通り、戦火で一度焼失した守礼門と首里城の復元にはタイムラグがあり、まず始めに守礼門から復元されました。終戦直後に首里城跡地には琉球大学が建てられていた経緯などもあり、首里城自体の復元には時間がかかってしまい、現在の首里城公園が開園したのは1992年(平成4年)のことでした。

このタイムラグのせいで、守礼門は復元した後長い間メインの首里城がないまま、沖縄の観光スポットとして売り出されます。しかし(というか、やはり)、メインの首里城がない状態では観光客も満足を得ることができず、「実際に行ってみたらがっかりした観光スポット」「がっかり3大名所」として有名になってしまいました。
(今でも、「守礼門 がっかり」で検索するとたくさんの記事がヒットします)

さて、この不名誉な「がっかり名所」という称号は、今でも当てはまるのでしょうか?答えはもちろん「NO」で、首里城公園開園後は名実ともに沖縄を代表する観光スポットとして人気を博しています。首里城公園は毎年約200万人の来園者数を誇る日本でも有数の観光スポットにまで成長し、今では海外からの観光客にも人気の観光地となっています。

ちなみに、日本には姫路城や名古屋城など、沢山のお城の観光名所がありますが、来城者数ランキングで首里城は全国4位となっているようです。

2000円札と守礼門

存在を忘れている人もいるんじゃないか?というほど全く普及していない2000円札ですが、なぜか沖縄では今でも結構な量の2000円札が流通しています。その理由はやはり2000円札の表に描かれた守礼門にありそうです。

もともと2000円札は、「西暦2000年」と「沖縄サミット」をきっかけに発案されたお札で、そのため表には守礼門が描かれました。通常お札の表の面には偉人の肖像画というのがお決まりでしたが、2000円札は表に沖縄の象徴である守礼門が描かれ、まるで沖縄サミットの記念硬貨を思わせます。

そういった経緯もあって、沖縄県民にとっては愛着のある紙幣であり、また、沖縄県庁の観光振興課は2000円札普及に力を入れていたそうです。

実際今でも2000円札が普通に使われていて、筆者もタクシーに乗った時にお釣りで2000円札をいただきました。(いつかプレミアで高くならないかな~と思い、使わずにしまってあります。)

守礼門付近の観光スポット

今回紹介した守礼門付近には、首里城はもちろん、他にも多数の観光スポットがあります。筆者も全てのスポット回ったわけではなく、360度写真が無いものもありますが、いくつか紹介したいと思います。

首里城

首里城360度写真 https://tokyo360photo.com/syurei-of-gate – Spherical Image – RICOH THETA

琉球王朝繁栄の象徴とも言える王城です。那覇の街を見下ろせる首里の高台に建てられていて、展望台からは那覇の街とその先に青い海、慶良間諸島が見える最高のロケーションです。

なお、首里城自体は守礼門と同様に、太平洋戦争の沖縄戦で一度焼失しており、現在の大部分は復元されたお城となります。2000年に世界遺産に登録されましたが、登録されたのは「琉球王国のグスク(城という意味)及び関連遺産群」であり、復元されたお城は含まれておりません。

上の360度写真の通り、色使いなどの見た目はかなり中国文化から影響を受けており、日本のお城とは一線を画する作りとなっています。

円覚寺

円覚寺360度写真 https://tokyo360photo.com/syurei-of-gate – Spherical Image – RICOH THETA

守礼門から歩いてすぐの場所にある寺院跡です。

円覚寺は、臨済宗(りんざいしゅう)の総本山として1494年(昭和8)に創建され、1933年には旧国宝に指定されましたが、守礼門や首里城と同様、沖縄戦で焼失してしまいました。

現在の総門は1968年(昭和43)に復元されたものとなっています。

弁財天堂

弁財天堂360度写真 https://tokyo360photo.com/syurei-of-gate – Spherical Image – RICOH THETA

円覚寺のすぐ目の前にある、円鑑池(えんかんち)という小さな池の中央に建てられた赤瓦の小堂です。

弁財天堂バーチャル写真 https://tokyo360photo.com/syurei-of-gate – Spherical Image – RICOH THETA

すぐそばに龍潭池という緑に囲まれた比較的大きな池があり、沖縄の暑さから一息つく場所として最適かと思います。

第32軍司令部壕

第32軍司令部壕360度写真 https://tokyo360photo.com/syurei-of-gate – Spherical Image – RICOH THETA

守礼門や首里城とは年代が異なり、琉球時代のものではありませんが、こちらも守礼門から歩いてすぐの場所にある、沖縄の歴史を知るためにぜひ見ておきたい場所の一つです。

今回紹介した守礼門や首里城は琉球の歴史を物語る重要な建造物ですが、実は太平洋戦争末期、その地下には旧日本軍の司令部が存在していました。(今回紹介してきた守礼門、首里城や円覚寺などが沖縄戦で全て壊滅的な破壊にあったのは、ここに司令部があったため激しい攻撃がなされたためです)

この第32軍司令部壕は1キロ以上の長さがあり、入口は6箇所あったそうです。ただし、壕の土質が極めてもろく危険なため、現在は一般公開されていません。沖縄県庁では「第32軍司令部壕事業」と題し、一般公開も含め”維持管理を継続するとともに平和学習等に利活用する”ことを検討しているようですが、莫大な予算がかかるため、この事業はあまり進んでいないようです。

金城町の石畳道

石畳道360度写真 https://tokyo360photo.com/syurei-of-gate – Spherical Image – RICOH THETA

守礼門からは少し歩きますが、琉球石灰岩が敷かれた石畳の古道があります。結構急な坂道となっているので、歩くのはちょっと大変ですが、道(坂)の両サイドには沖縄っぽい昔ながらの赤瓦屋根の古民家もあり、情緒ある観光スポットとなっています。

NHKの朝ドラ「ちゅらさん」の撮影地としても知られている場所ですので、ぜひ一緒に観光しておきたい場所です。

他の記事で詳しく紹介していますので、そちらも合わせてご覧ください。
雨の金城町石畳道を行く。首里のもう一つの観光スポットを360度写真付きでレポート

玉陵(タマウドゥン)

玉陵

玉陵

上の綾門(守礼門)と下の綾門とを繋ぐ道「綾門大道」沿いにある、陵墓(皇族の墓)です。琉球王国の第二尚氏王統の歴代国王が葬られているそうです。

沖縄のお墓は、一般的なものでも本土の墓に比べるとかなり大きいですが、この玉陵はさすが王家の墓というだけあって、遺跡と呼ぶに相応しい風格です。

最後に

日本有数の観光地となった沖縄ですが、青い海と白い砂浜だけでなく、今回紹介した守礼門を含む首里城公園など、文化的な観光スポットも沢山あります。

世界遺産として登録された「琉球王国のグスク(城という意味)及び関連遺産群」は、9つのスポットとなっていて、まだまだ見所満載です!

沖縄の世界遺産

海でのレジャーだけでなく、世界遺産を巡りながら沖縄文化のルーツを探る旅もおすすめです。

守礼門のクチコミ・みんなのレビュー

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