守礼門を360度写真でバーチャル体験!もうがっかりなんて言わせない

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守礼門の歴史

守礼門バーチャル写真 https://tokyo360photo.com/syurei-of-gate – Spherical Image – RICOH THETA

守礼門が建造された時期は正確に分かっておらず、琉球王国が独立国家となっていた時代の、
琉球王国第二尚氏王朝4代目の「尚清王」の時に建造された。ということだけが判明しています。この尚清王が在位していた時期が1527年~1555年となっていますので、その間に建造されたということです。

ちなみに首里城が建てられたのはさらに古く、琉球が3つの勢力に分かれていた時代、13世紀~14世紀に建造されたと言われています。

戦争で焼失~再建

琉球王朝時代に建造された守礼門は、1872年の琉球王国廃止(日本による琉球藩の設置)以降も存続していましたが、第二次世界大戦(太平洋戦争)の沖縄戦の激しい戦火によって焼失してしまいます。この戦火では守礼門だけでなく、首里城など、他の歴史的な建造物も破壊されてしまいました。

その後、終戦を迎えた沖縄で復興が進む中、県民の強い意向の元、首里城や守礼門の復元が行われます。守礼門は1958年(昭和33年)に復元が完成、この守礼門復元が皮切りとなり首里城などの再建も進んでいくことになります。

もう「がっかり」とは言わせない!

守礼門バーチャル写真04 https://tokyo360photo.com/syurei-of-gate – Spherical Image – RICOH THETA

上で書いた通り、戦火で一度焼失した守礼門と首里城の復元にはタイムラグがあり、まず始めに守礼門から復元されました。終戦直後に首里城跡地には琉球大学が建てられていた経緯などもあり、首里城自体の復元には時間がかかってしまい、現在の首里城公園が開園したのは1992年(平成4年)のことでした。

このタイムラグのせいで、守礼門は復元した後長い間メインの首里城がないまま、沖縄の観光スポットとして売り出されます。しかし(というか、やはり)、メインの首里城がない状態では観光客も満足を得ることができず、「実際に行ってみたらがっかりした観光スポット」「がっかり3大名所」として有名になってしまいました。
(今でも、「守礼門 がっかり」で検索するとたくさんの記事がヒットします)

さて、この不名誉な「がっかり名所」という称号は、今でも当てはまるのでしょうか?答えはもちろん「NO」で、首里城公園開園後は名実ともに沖縄を代表する観光スポットとして人気を博しています。首里城公園は毎年約200万人の来園者数を誇る日本でも有数の観光スポットにまで成長し、今では海外からの観光客にも人気の観光地となっています。

ちなみに、日本には姫路城や名古屋城など、沢山のお城の観光名所がありますが、来城者数ランキングで首里城は全国4位となっているようです。

2000円札と守礼門

存在を忘れている人もいるんじゃないか?というほど全く普及していない2000円札ですが、なぜか沖縄では今でも結構な量の2000円札が流通しています。その理由はやはり2000円札の表に描かれた守礼門にありそうです。

もともと2000円札は、「西暦2000年」と「沖縄サミット」をきっかけに発案されたお札で、そのため表には守礼門が描かれました。通常お札の表の面には偉人の肖像画というのがお決まりでしたが、2000円札は表に沖縄の象徴である守礼門が描かれ、まるで沖縄サミットの記念硬貨を思わせます。

そういった経緯もあって、沖縄県民にとっては愛着のある紙幣であり、また、沖縄県庁の観光振興課は2000円札普及に力を入れていたそうです。

実際今でも2000円札が普通に使われていて、筆者もタクシーに乗った時にお釣りで2000円札をいただきました。(いつかプレミアで高くならないかな~と思い、使わずにしまってあります。)

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